衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年07月07日    土曜日     第2 回の開示 合計717回の開示

自心現量とは何でしょうか

仏は一切の法はすべて自心の現量であると説かれました。自心とは真実の心、永遠に壊れ滅びない心を指します。現量とは現実に存在する事物、眼前に現れているものを指し、虚構や想像によるものではなく、比較によって得られるものではありません。比較によって得られるものを比量と呼び、想像によって生じるものを非量と呼びます。一切の法は因縁によって生じるため、これらを因縁法と申します。因縁法におけるすべての現象は自心に現れたものであり、すなわち一切の法は自心が現じ、自心が変化させたもので、心を離れて一切の法は存在せず、心を離れれば因縁法も存在しません。

因縁法がすでに自心の現量であり、自心から生じたものであるならば、それは真実の法ではなく、生じた法は必ず滅びます。生じるものには必ず滅びがあり、生じなければ滅びもありません。因縁によって生じた法はすべて生滅を伴うもので、因縁が具われば生じ、因縁が散じれば滅びます。したがってこれらは虚妄の法であって実法ではありません。この故に世尊は、これらの因縁によって生じた法への貪着を捨てるよう教えられました。これらの仮の法に執着することこそが生死の輪廻であり、苦悩であります。真実の法については、世尊は決して捨てるよう説かれておらず、そもそも捨てることもできませんが、それに執着してはなりません。何に執着するのも正しくありません。自心の本性はもとより無執着であり、何ものにも執着したことがありません。世尊が私たちに自心と相応することを教えられたのは、生死の煩悩がなくなるためであります。

——生如法師の開示
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衆生の心はそれぞれ異なり、現れる像もまた異なります

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