修行の歩みは、聞・思・修・証である。聞は意識によって完成され、意根がこれに配合する。思は意識が先に思量 (manasikāra/manana) し、広くデータを集めて意根を薫染し、意根もまた思慧を起こす。修は、意識が参謀として働き、意根が主導して観行 (vipaśyanā-caryā) と参究を起こす。証は、この二者が共同して仏法を証得するものである。実は修は証法の後のことであり、意識が煩悩を降伏し断除した後、さらに意根の煩悩の降伏と断除を督励し、意識の転変が影響を与えて意根の転変を導き、それによって自我を変え、転識成智を成し、より深い智慧を獲得するのである。
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