それでは如来蔵がこの六識の身口意の行いの中でどのような働きをしているかを見る必要があります。如来蔵は七つの大種子を有しており、その一つが識種子です。如来蔵は識種子を保持し、この識種子は七つの識に対応する識種子に分かれています。如来蔵は同時にこれら七つの識それぞれに該当する識種子を送り届けることができ、これが現行すると七つの識が活動を開始します。七識の作用は五つの遍行心所法と五つの別境心所法、さらに貪・瞋・痴などの煩悩心所法によって支えられています。例えば第六識が活動する際には、五遍行心所法だけでなく、時には五別境心所法も伴い、また善十一心所法が現れることもあります(ただし完全に具現化されない場合もあります)。さらに貪・瞋・痴などの煩悩心所法も現れます。
第七識である意根も同様で、五遍行心所法の他に貪・瞋・痴・慢・疑などの煩悩心所法を有しています。七つの識が現行する時、対応する心所法が顕現し、識心は心所法の形式によって作用します。心所法には清浄なもの、染汚なもの、清浄でも染汚でもないものがあり、時に全てが現行します。識種子が生起すると、七識は瞬時に活動を開始し、刹那に生滅します。生は如来蔵から生じ、識種子が滅する時、それはどこへ帰するのでしょうか。もしこの種子が滅して自然消滅するならば、如来蔵の中にどれほどの識種子が絶え間なく生じ続け、枯渇しないのでしょうか。それらの識種子は生じては滅し、生じては滅するのですが、如来蔵は絶えず新たな識種子を生成し続けるのでしょうか。そうではありません。識種子を新たに生成する法はもはや存在しないのです。
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