答:唯識の見道とは、主に一分の唯識種智を証得することを指し、三果以降、四果に近い時期のことです。初地の菩薩は必ず小乗三果の人でなければならず、煩悩は断除されていますが、少しの我慢や五陰あるいは三界世間への執著がまだ断除されていない場合もあるかもしれません。
一般の人が唯識の法を学んでも同様に悟道することができ、しかも一旦開悟すれば、その見地は深く細かく究竟しています。禅宗から悟道した場合、智慧は粗く浅薄なものになります。
初地以上の菩薩から七地の菩薩は、小乗四果阿羅漢の正位に入ってはならず、四果を証取してはなりません。さもなければ必ず涅槃に入ってしまうからです。菩薩が少しの貪愛を残すことは、娑婆において修行と弘法を続ける上で有益であり、それ以外のものには何の必要もありません。
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