衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年06月03日    日曜日     第3開示 合計589開示

八識の四分

四分とは見分・相分・自証分・証自証分を指し、八つの識において、第六識のみならず証自証分を有し、第七識も証自証分を有し、第八識たる如来蔵も証自証分を有する。八識はすべて四分を具えるが、観行の能力がなく実証できない者に対しては説かないだけである。多くの深遠な法について、仏は信根を具えず智慧力が不足する者に対し、あるいは説かず、あるいは婉曲に方便説を示し、直接には説かない。なぜなら直接説けば衆生は理解できず、徒らに疑心を増長させるからである。

修行が絶えず深まるにつれ、煩悩を降伏・断除し、智慧力が絶えず向上するに従い、八識の識性は増強されるだけでなく、智性もますます強く深まっていく。各人の第七識の機能は絶対的に異なり、すなわち心所法は絶対的に異なる。これが修行する者としない者の違い、修行が優れている者とそうでない者の違いである。

修行が深まるにつれ、第六識に変化が生じるだけでなく、第七識の変化もますます大きくなる。主な現れは心所法の転換と、識心の智慧においてであり、すなわち修行成功の指標は識を転じて智となすことである。たとえ入地まで修めていなくとも、その識心の智慧は凡夫とは異なり、密かに転換を遂げている。ただ衆生に観察する能力があるかどうかだけである。観察能力がなければ、その識心の智慧性がまだ不十分であり、なお覆障があることを示す。観察能力がなく信根も不足する者に対しては、もはや深遠な法を説くことはできない。

——生如法師の開示
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