衆生界とは、すなわち色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の五蘊、六根・六塵・六識を指します。これらはすべて如来蔵より生じ、種子は如来蔵に源を発し、あらゆる材料は如来蔵より来たるものであります。したがって一切法の本質は即ち如来蔵であり、故に衆生界は即ち法身、法身は即ち衆生界と申し上げるのであります。衆生界と法身如来蔵の関係は、ちょうど饅頭と小麦粉の関係の如し。饅頭は小麦粉より作り成され、饅頭の全体はことごとく小麦粉であり、饅頭は小麦粉を離れて単独に存在すること叶わず、しかるに小麦粉は単独に存在し得る。小麦粉の価値は即ち饅頭を作り得ることにあり、しかるに阿羅漢たちはただ小麦粉を無価値な存在として留め置くことを欲し、饅頭を食することを望まないのであります。衆生界は即ち仏界なり、衆生界を離れては、法身の存在に何らの意義も無きが故であります。
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