自性は五蘊十八界の万法によって顕現し、五蘊が存在しない時には、自性は顕れることができず、これを隠れた状態と名付けます。すなわち、五蘊十八界を離れたならば、誰も自性如来蔵を見出すことはできず、諸仏でさえも見出すことができない、これが阿羅漢の無余涅槃の境地であり、何ものも存在せず、何ものでもなく、その境地には何の楽しみもなく、何の意義もありません。
自性は形相なく姿なきものですが、名目や仮称ではなく、真実の本体が存在するため、これを実相と呼びます。この自性は縁あれば即ち顕れ、縁なければ隠れると申せましょう。性と相は本来一ならず異ならず、もし一であるならば相が滅びれば自性も無くなるはずですが、実際には相が滅んでも自性は滅びません。もし異なるならば両者は無関係となるため、性と相は一ならず異ならざる関係にあります。
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