衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年05月27日    日曜日     第3開示 合計548開示

八識大樹図

世間の一切の法は、八つの識が和合して共に構成しているものであり、一切の法は、古くて強大な生命力を持つ天にそびえる大樹に相当します。そのうち、深い土の中に植え込まれた樹根は如来蔵に相当し、根は堅固で庞大にして破壊できません。太く頑丈な樹幹は第七識の意根に相当し、絶えず高空へと伸びています。繁茂した枝は第六識に相当し、大多数の枝はびっしりと生い茂る葉とつながっており、木の葉は五識に相当します。如来蔵の樹根を離れて第七識の樹幹はなく、第七識の樹幹を離れて第六識の枝はなく、第六識の枝を離れて五識の木の葉はありません。しかし、五識の木の葉がなくても第六識の枝はあり得、第六識の枝がなくても第七識の樹幹はあり得、第七識の樹幹がなくても如来蔵の樹根はあり得るのです。

これらの文字に大樹の構造図を加えれば、衆生の五蘊身を完全に表すことができます。無明の比較的重い凡夫の衆生は、往々にして一葉が目を障し、美しい色彩を好み、目に映るのは赤・黄・緑の木の葉ばかりで、その他の一切の精華はまったく見えません。こうした衆生は世俗の中で酔生夢死の生活を送り、飲食遊楽にふけり、五欲の享楽のみを知り、思想もなく、理想もなく、追求もありません。

いくらか賢い凡夫の衆生は、目には色鮮やかな木の葉だけでなく、枝の美しさと魅力をも鑑賞することができます。こうした人々は様々な思想や哲学理論の探求に耽溺していますが、枝や葉が季節とともに絶えず生まれては凋落し、絶えず生住異滅を繰り返し、永遠にはあり得ないことを見ることができず、探求し研究し出した理論もまた絶えず更新され、さらに更新され続け、究竟の帰着点と源泉を見出すことができません。

眼差しが深く、いくらか現実的な衆生は、木の葉や枝に沿って奥深くに入り込み、樹幹を探し求め、潜在意識を掘り起こそうとし、心の奥義を探そうとします。一部の人は、結局のところ福德が欠けており、心力が足りず、樹幹の輪郭をいくらか見ることができるだけです。また別の聡明な人々は、目を遮る枝葉をかき分けて、主幹を見出し、雄壮な樹幹を深く観察して、枝葉である六識のすべての養分が、ことごとく主幹である意根によって伝え上げられたものであることを発見します。意根の主幹がなければ、六識の枝葉は存在しないのです。

智者はそこで足を止めて満足することはなく、さらに主幹に沿って下へと探求し、ついに生命の源泉、永遠に死なない樹根――如来蔵を見出します。ついに悟ったのです、これこそが養分の発源地であり、樹幹はただ養分を伝える絆と橋にすぎないのだと。生命の源泉を見出した智者は、心に帰着点を得て、樹幹に寄りかかり、樹根の上に座り、休んで涼みながら、枝葉の風景を愛でて、なんとも自在であります。

哀れなことに、一部の人々は、樹幹を切り取って家屋や高層ビルを加工・建築して、世に百年残し、枝は小さく割いて火をおこし暖を取り、形を三、二年残し、木の葉は地に落ちて、掃く人もなく、秋の後に地のうちで腐り果てて、跡形もなくなり、ただ樹根のみが、ひとりぽっちと横たわるのです。

——生如法師の開示
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