衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年05月27日    日曜日     第4開示 合計549開示

有情の色身と依報環境

問:人が目にする山河大地は全て自らが参与して共同で顕現した一分の山河大地であります。人が目にする動物や昆虫、また我々の親族は、相手から流出した四大種子が我々の如来蔵の四大種子と触れ合い、生じた影像を見ているのでしょうか。また我々が見る花草樹木も同様なのでしょうか。

答:有情衆生の色身もまた四大から成る物質色法であり、この物質色法は彼ら自身の如来蔵が単独で顕現したもので、他の衆生とは関係なく、他の衆生の如来蔵は顕現に関与しません。我々がこれらの有情衆生を見る時、自らの如来蔵が相手衆生の色身を鏡像の如くに自らの勝義根において内相分を顕現させます。衆生の色身は我々にとって外相分であり、我々とは何の関係もありません。我々の如来蔵が有情衆生の色身を自らの内相分とし、内相分となった後に六識が生じ、六識がこの内相分を了別する故に、我々は相手の人々や昆虫、様々な動物、鬼神、天人などの有情衆生を見るのです。

如来蔵が存在し、八識が存在する、あるいは八識未満が存在する全ての相手は有情衆生であり、彼らの色身は彼ら自身の如来蔵が顕現したもので、我々とは関係ありません。我々が見るのは、我々の如来蔵が相手の四大影像を摂取し、自らの内相分としたものであり、この内相分のみが我々と関係があり、我々の如来蔵と関係があるのです。外相分の有情衆生は我々自身の如来蔵とは関係がありません。

ちょうど我々自身の身体が自らの如来蔵が単独で顕現したもので、他の衆生とも仏とも関係がないのと同じです。しかし他人が我々の身体を見る時、彼の如来蔵が我々の身体を内相分と化す故に、見ることができるのです。これは山河大地を見る関係とは完全に同じではなく、外界の山河大地は我々の依報環境であり、この依報環境には我々が参与して顕現した部分があります。我々の如来蔵が摂取するのも、自らが参与して顕現した外色塵の一分を摂取し、それを内相分と化す故に、我々は攀縁することができ、識別し、見ることができるのです。我々が見る花草樹木も全て同様であります。

——生如法師の開示
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末那識頌

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