答:一切の法はすべて種子として貯蔵することができます。身口意の一切の行為造作、経験した一切の人・事・物・物理、すなわち六塵の境界は、すべて種子として如来蔵によって収められます。その後、意根が攀縁して了別しようと考えれば、如来蔵は意根の思心所に随順して、種子を送り出して法塵とし、独影境とします。意根が縁した後、さらに細かく了別しようとすれば、如来蔵は独頭意識(mano-vijñāna-eka-citta)を生じて一つ一つ了別します。これがいわゆる回想(記憶の呼び起こし)です。だから回想には細部があり、思い出された境界は法塵に属し、五識は了別できません。前五塵の相分もまた種子として、一種の情報として如来蔵の中に存在しており、種子と情報は形もなく相もなく、五塵境には属しません。因縁が具足したとき、如来蔵は種子に基づいて五塵境を出力し、さらに意根の思心所に依って、如来蔵は六識を生じて了別します。しかし、これはもはや回想ではありません。五識にも五別境心所法があります。すなわち欲・勝解 (adhimokṣa)・念・定(じょう)・慧であり、だから五識には念心所があるのです。
1
+1