衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月19日    土曜日     第1 回の開示 合計513回の開示

如来蔵と記憶の関係(一)

八つの識の中で、如来蔵は倉庫のような存在であり、一切の法の源となる種子は全て如来蔵から取り出されます。我々が過去に行った業や経験した人事物は全て種子として如来蔵に保存されております。もし意識心が過去の人事物を再認識しようとするならば、如来蔵から記録を取り出して確認する必要があります。

ただし、記録を閲覧する能力を持つのは意識心のみであり、記憶の機能は意識心に備わっております。如来蔵自体には記憶機能がなく、業種が法塵として現前しても、如来蔵は法塵を認識することはできず、いかなる具体的な法塵も識別しません。意識心には記憶想起の機能がありますが、神通力を修得していない限り、第六識は今生で経験した人事物のみを記憶し、経験した事柄は第六識のみが想起できるのです。

意識がなぜ過去の事柄を想起できるのでしょうか。我々が経験した事柄や身口意の行いは、その瞬間に種子の形で如来蔵の倉庫に保存されます。後で意識心がそれを取り出して認識しようとする時も、必ず倉庫から取り出す必要があります。意識と如来蔵の間には一定の連携が必要であり、その中で意根は両者を繋ぐ橋渡し役であります。

意根は総支配人のような存在であり、意識が何らかの貨物を取り出すには必ず意根の許可と承認を得なければなりません。もし如来蔵の倉庫にその貨物が存在し、因縁条件が整えば、如来蔵は無条件でそれを提供し、意根は意識心が享受できるように致します。倉庫にその貨物が存在しない場合や貨物が圧迫されて一時的に取り出せない場合、意識は空手で待つしかなく、何も得ることができず、享受もできません。

我々が前世で修した法や経験した全ての人事物も種子の形で如来蔵の倉庫に保存されておりますが、今世でそれを取り出すことは可能でしょうか。もちろん可能であります!ただし意識心は神通力を修得し、肉体の障壁や影響を受けず、大脳勝義根を経由せずに、直接意根の作意と如来蔵が現出した法塵を識別できるようになる必要があります。神通力を修得していない場合、意識心は肉体の障壁を受け、前世で経験した事柄を識別できず、想起することも叶わないのです。

——生如法師の開示
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