衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年05月18日    金曜日     第1開示 合計505開示

念仏の二つの段階

念仏には二つの段階がございます。一つは意識的な念仏で、意根が関心を示さず浅いものであり、もう一つは意識だけでなく意根も念仏する深く専注した状態で、意識が念仏をしなくとも意根の働きによって自然に仏号が浮かび上がるものでございます。

意識で念仏をし、意根が念仏を好まない時は、心が散乱しがちでございます。念仏を唱えながらテレビを見たり、会話をしたり、妄想に耽ったり、雑事に追われる状態でございます。

意根が念仏する時は、睡眠中にも夢を見ている時にも、仕事中にも思考中にも、あらゆる行為の中に念仏が宿るのでございます。念仏三昧は必ず意根から発現し、一切時に念仏が途絶えることなく、身心に軽安の覚受が生じ、歓喜が湧き起こるものでございます。

或る者が百万洪名念仏期に参加し、一週間で百万遍の念仏を達成された際、108個の数珠を手に繰りながら念じ、一巡する毎に108の数珠を一つ繰るという作法で、左右の手を絶え間なく動かしつつ仏号を唱え続けられました。同時にテレビを観たり意見を述べたり他人の行動を見たり、時には怒りさえ覚えるという、実に多忙を極める様子でございました。この方の意根は常に外縁に攀じ、意識は形だけの念仏を装う状態で、一点の専注も見られなかったのでございます。

ここに見えるように、意根を調伏して初めて念仏の定が生じ、念仏三昧に至るのでございます。定とは結局意根を定めることであり、意識だけを定めても根本的な解決にはならないのでございます。

——生如法師の開示
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一切法は如来蔵性なり

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一切法は如来蔵より生ずる

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