衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月14日    月曜日     第3 回の開示 合計488回の開示

縁起法による万法の源の推究

世俗の法に「万物の生長は太陽なしでは成り立たない」という言葉があります。もし万物が太陽に依存して存在するならば、太陽は何によって存在するのでしょうか。一つの事物から次の事物へと推論を重ねていくと、最終的には推論が及ばないところに至ります。その時こそ、最も究極的なもの、他縁や他法に依存せず自ら存在し得るものを導き出すことができます。このものは生まれることもなく永遠に滅びることもないため、最も確かで信頼できる存在なのです。

縁覚たちが因縁の法を推究し、最後に阿頼耶識に至ると推論が及ばなくなり、こうした結論を得ます:「識が名色を縁とし、名色が識を縁とする」。これによって万法の源流である阿頼耶識が明らかになります。五蘊名色は阿頼耶識から直接生じ、他の法は全てこれが生み出す助縁に過ぎず、万物の発生も同様です。我々が仏法を学び修行する際にもこのような推論を身につける必要があり、そうすれば多くの法を他人に教わらなくても自ら悟り得るようになります。如来蔵を明心して証得することは、さほど難しいことではないのです。

楞厳経には「太陽光は太陽から来るのではなく、直接如来蔵から来る」と説かれています。同様に、万物の生長は太陽によるものではなく如来蔵によるものであり、如来蔵が四大種を送出することで万物が生長するのです。もし如来蔵が四大種を送出しなければ、陽光がどれほど照射されても万物は生長できず、かえって枯れ果ててしまいます。しかも陽光自体も如来蔵が送出する四大種によって形成され、一瞬たりとも如来蔵から離れることはありません。

楞厳経を深く学べば、思考が開け明るくなり、一切の法の生成・存在・運行が全て如来蔵性によるものであり、他の何物でもないことがわかります。此の物が彼の物を生むなどということは不可能です。なぜなら此の物には自性がなく、生滅するもので永続しないからです。どうして他物を生み出せましょうか。一切の物は如来蔵から直接生じ、他の物は単なる助縁に過ぎません。物が他の物を生み出すことはできず、物は物を生ぜず、万法は唯だ心の造り出すところです。一切の法を推究し尽くしてそれ以上推論できないところに至れば、返すべきものは何も残りません。その返すことのできないものこそが如来蔵なのです。

——生如法師の開示
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