衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月13日    日曜日     第6 回の開示 合計484回の開示

空腹感はどのように生じるのか

食物が胃で消化され、胃が空になると、意根がこの状態を了別し、微細な分別を起こします。如来蔵は身識と意識を生じて、飢えの触塵を了別させます。身根が飢えの触塵に接触すると同時に、意根は触塵上の法塵に接触し、如来蔵が身識と意識を生じさせます。二つの識が飢えの触塵を感じ取り、分別した後、意識が名言概念を起こして「飢え」と定義し、食事すべきと決定して状況を意根に伝えます。意根が作意・受・想に触れ、思量して食事すべきと感じると、食事を決断します。如来蔵が意根に呼応し、六識を生じさせ、八つの識が和合して作用し、食事の段取りを整えます。

飽きと飢えは共に触塵であり、六塵の一つです。これらはどのように生じるのでしょうか。食事を胃に入れると、胃と飲食が接触し、飲食の満ち具合を感じ取ります。これは実は身識の感覚であり、満たされれば飽きの触塵となります。その後、飲食が徐々に消化され尽きると、胃が空になり、身識が飢えを感じ、飲食で胃を満たす必要が生じます。

もちろん身識単独では触塵を感じられず、意識が同時に協働して感覚する必要があります。触塵上には同時に法塵が顕現し、意根がこれに対向します。根と塵が接触すると、如来蔵が身識と意識を生じて飢えの現象を感受させます。六塵は如来蔵が顕現させたものであり、触塵も如来蔵が現出させたものです。飢え・渇き・寒さ・熱さなどの触塵も同様に、如来蔵が身体と環境の状況に応じて顕現させ、その後身根がこれらの触塵に触れ、意根が触塵上の法塵に触れることで、如来蔵が身識と意識を生じさせ、我々は飢え・渇き・寒さ・熱さといった触塵を感じるのです。

要するに、如来蔵が六根を生じ、六塵を現出させます。六根が六塵に触れる時、再び六識が生じます。根・塵・識の三者が和合して接触することで、衆生の五陰における様々な分別活動が生起します。よって一切の法は如来蔵の妙用であると言えるのです。

——生如法師の開示
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