極楽世界は仏の心中にあり、またあらゆる衆生の心中においても不生不滅であります。真如の心を除き、一切の法は真如の心の中に存在し、真如の心によって変化生成され顕現されたものであるため、全ては生滅するものであり、ただ真如の心のみが不生不滅であります。極楽世界が極めて長遠な時間にわたって存在するとはいえ、究竟には滅びゆくものであり、ただその期間の長さを我々は知り得ないのみであります。本来極楽世界というものは存在せず、阿弥陀仏が大願を発して後に初めて建立されたものであり、すなわち生じたものなのであります。世の中に生じて滅びない法は一つもなく、これが法界の運行の理法であります。また別の角度から申せば、極楽世界は真如の心が現じたものであり、真如の心の一部でもあるため、これもまた真如に属するのであります。
真如の心が滅びなければ、一切の法は常に存在し続け、滅びても再び生じます。一切の法の現象は不断に生起し続けるものであります。個々の現象は不断に生滅し、変異無常ではありますが、総体としては常存であります。なぜなら常に現れ出づるべきものだからであります。我々が極楽世界を執着するか否かに拘わらず、極楽世界そのものは生滅するものであり、真如の理体に依って説くならば、それは真如の性質を有しております。一切の法は滅しては再生し、生じては再び滅します。真如の如来蔵が存在するが故に、一切の法は生滅を繰り返し、長きにわたって現象界は常に世の中に現れ続けるのであります。
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