問:意根が自説を押し通して頑固に己の見を固執するとき、四分のどれが起用しているのでしょうか。意根が懺悔するとき、四分のどれが起用しているのでしょうか。己の見を堅持するとは何ですか。なぜ懺悔する必要があるのでしょうか。
答:意根が自説を押し通して頑固に己の見を固執するのであれば、それは意根が自分の見解を知り了解し、それが正しいと判断して、堅持して改めようとしないものであり、これは意根の証自証分 (svasaṃvedana) の機能です。意根の懺悔であれば、意根が自分の過ちを認識し、それによって懺悔しようと望むものであり、これも意根の証自証分 (svasaṃvedana) の機能です。
己とは、自分自身のことであり、己見とは自分の見解のことであり、これは自証分 (svasaṃvitti) です。己の見を堅持するには、まず自分の見解を知ることが必要であり、これは証自証分 (svasaṃvedana) です。過ちを知りながら改めないのも、また証自証分 (svasaṃvedana) です。自分のどんな事柄を知るのも、すべて証自証分 (svasaṃvedana) です。
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