衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月11日    金曜日     第8 回の開示 合計473回の開示

肉身は極楽浄土に往生できるのか

問:念仏によって極楽浄土に往生する際、肉身が蓮華に座って行くのでしょうか。

答:念仏往生は蓮華に座して往生するもので、この蓮華は自らの如来蔵が意根に随順して変現したもので、微細な四大で構成されています。念仏者が極楽浄土に一心に憧れ、心が清浄となった後、往生を願うと、如来蔵は意根の願いに従い、極楽世界の蓮池において各自の修行の品位に相応する蓮華台を建立します。この蓮華台は四大で構成された極微細な物質であり、我々の粗重な肉身では乗り入れることができず、実質的な肉身は微細な蓮華台の色法に触れることができません。

臨終往生の際には中有の身が蓮華に座して極楽浄土に至ります。中有の身も実質的な粗重な物質の肉身ではないため、蓮華台と相応じ、中有の身は蓮華の中に入ることができます。蓮華に乗った後、蓮華台と中有の身は一瞬にして極楽浄土に至り、中有の身は極楽世界の天人の色身に転換され、蓮弁に包まれます。色身は自らの如来蔵が変現した蓮華宮殿に住します。中有の身がこれほど迅速に極楽浄土に至る理由は、極楽世界も自心の如来蔵中の一つの法であるためです。如来蔵は自心のいかなる処所にも赴く必要がなく、意根が如来蔵に随うため無限の距離を経由せず、瞬時に如来蔵内の極楽浄土に至るのです。実際には弾指の速度よりも速く、速度を説くこと自体が既に遅い表現です。如来蔵の自心には時間も距離も存在せず、従って速度という概念もありません。

中有の身が極楽浄土に至ると直ちに消滅し、極楽世界の衆生の荘厳なる色身に転じます。男女の区別なく、極楽世界において永遠に若々しく荘厳で、老いも死も病も苦もありません。中有の身は極めて微細な物質の色身であるため、瞬時に極楽浄土に漂着できますが、我々の肉身では不可能です。肉身は極めて粗重な物質であり、浮遊することも数メートルの空中に昇ることもできず、ましてや遙か遠方の極楽浄土には至れません。これが肉身を持つ人間に神通力がない理由であり、鬼神や天人、非人たちの色身は微細な物質で構成されているため、神通力を有し、浮遊し飛翔し、瞬時に他世界に至ることができるのです。

——生如法師の開示
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