原文:その時、大慧菩薩摩訶薩は再び世尊に問うて申し上げた。「世尊よ、外道もまた因縁を説きます。勝自在天や時節・微塵より生ずると。かくの如き諸法の生起を説きます。しかし世尊の説かれる因縁による諸法の生起に関する言説は、有間悉檀と無間悉檀に分かれます。世尊よ、外道もまた有無の生を説き、世尊もまた無生を説かれます。生じたものは既に滅すと。」
釈:大慧菩薩が世尊にお尋ね申し上げた。世尊よ、外道も一切の法は因縁によって生じると説きますが、何によって生じるのでしょうか。彼らは勝自在天によって生じると考えます。大梵天王や神、あるいは虚空の微塵、ある種のエネルギーによって生じるとし、後世には老母神によって生じるとするなど、種々の説があります。しかし世尊の説かれる因縁による諸法の生起に関する教えは、世間の有無の範疇に属します。世尊よ、外道たちも世間の有無を説き、世尊もまた一切の法に生起なしと説かれます。生じたものは既に滅び去ると。
ここでいう因縁による生起とは、主に衆生の五陰身が因縁によって生じることを指します。五陰身が存在すれば、世間の一切の法、外世間法と内世間法が生じます。外道の説は有辺に堕するか無辺に堕し、常見と断見論に属し、正しくありません。世尊の説かれる無有とは自性の空を指し、生じたものは幻の如く実体なく、滅び去るものであると。
原文:世尊の説かれる如く、無明より行が縁起し、乃至老死に至る。これは世尊の無因説であり、有因説ではありません。世尊はこのように説き立てられました。「此がある故に彼がある」と。漸次的な生起を建立せず、外道の説く勝義を観ることは如来の教えではありません。
釈:大慧菩薩はさらに申し上げた。世尊が説かれる十二因縁法、無明より行が縁起し老死に至る過程において、まだ老死の根本因を説かれておらず、十二因縁法の根本因を指し示されておりません。ただ世間の仮相を説く段階で、真相に触れず、これらの法が生起する根本因に及んでいません。それ故に世尊は「此がある故に彼がある」という説き方を建立されましたが、これらの法が漸次に自心によって生じることを指摘されていません。外道の説く生起の因を某かの神霊とする見解は、世尊の説かれたものではなく、如来の教えに符合しません。
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