衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月07日    月曜日     第7 回の開示 合計453回の開示

十二因縁の順観と逆観

十二因縁法:無明より行が縁起し、行より識が縁起し、識より名色が縁起し、名色より六入が縁起し、六入より触が縁起し、触より受が縁起し、受より愛が縁起し、愛より取が縁起し、取より有が縁起し、有より生が縁起し、生より老病死憂悲苦悩が縁起する。衆生は無明があるため、日々身行が絶えず、口行が絶えず、意行が絶えず、自らの行為造作を止息させようとせず、その根本は内心深くの無明にある。阿羅漢や辟支仏は一念の無明を断じたため、万法が虚妄であり自我の五陰が真実でないことを知り、それゆえ世間のいかなる事も造作することを望まず、身口意の行が無意味であると覚り、内心は空と相応し、空・無相・無願の三昧を発起する。

彼らの身口意の行が減少し、内心が寂止するため、六識は現起することが少なく、分別も少なくなる。意根が自我への執着を断つと、三界の生死の種子が断たれ、未来世に三界に出生せず、これにより三界の生死輪廻を出離し、生を了し死を脱し、生死の苦悩から解脱する。一方衆生は無明が絶えないため、五陰が実有であり外界の六塵境界が実有であると認識し、絶えず六塵万法を貪執し、身口意の行を絶えず造作する。身口意の行が絶えず造作されるため、六識は絶えず現起し、五根と意根と協調して造作し、識別了別の作用を起こす。これにより六識心は停歇できず、心は寂止を得ず、造作した身口意行の種子は絶えず如来蔵に収蔵され、未来世受生の因縁条件を創造する。

衆生の六識が絶えず現行し、種子が絶えないため、意根がこれらの種子に攀縁し、自我五陰への執着が絶えない。中陰身において意根は如来蔵を引き連れて投胎し、これにより名色が生じ、次世の五陰が現れ、生老病死苦の輪廻が再び始まる。名色という受精卵があるため、眼根・耳根・鼻根・舌根・身根の五根が生じ、元来ある意根と合わせて六入が具足し、六塵を受納する器が整い、将来六塵に接触できるようになる。

六入という受納器があるため、必然的に六塵と接触し、触が生じる。六入はこの作用を起こす。六入が六塵に触れると、如来蔵は六識を生じて六塵法を了別し、了別後に知が生じ、知ると内心に感受が起こり、苦・楽・不苦不楽を感受する。内心に感受があるため、六識はこれらの感受に貪着し、六塵境界を愛好し、貪愛が絶えず現起する。貪愛があるため、意根は感受を継続させるため、絶えず五陰自我を執取し、六塵境界を執取し、五陰の不断現行を望み、六塵の永続を希求する。

意根が自我を執取し六塵境界を抓取するため、六塵は絶えず現起し、三界の生存条件が具足し、三界の有が断絶しない。三界の生存条件が具足し三界の有が絶えないため、衆生は三界に絶えず出生し、五陰が絶えず生じ、生命活動が止まず、老病死という無量の憂悲苦悩、無量の大苦が聚集し、衆生は無量の憂悲苦悩の中で生死輪廻を続ける。

その根源は、衆生の無明、三界万法への貪愛の不断、五陰への貪愛の不断にある。貪愛を断つことで意根の執取を断ち、意根が執取しなければ五陰の種子は具足せず、三界の生存条件が具足せず、五陰は再び生じることなく、生老病死の憂悲苦悩もなくなり、衆生は生死の苦から解脱する。

意根が貪愛と執着を滅したため、如来蔵は貪愛の種子を収蔵せず、身口意行の種子を蓄積せず、一念の無明の種子を保存しない。如来蔵は七識の無明を生じず、無明が断たれると身口意行が断たれ、身口意行が断たれると六識が断たれ、六識が断たれると名色が断たれ、名色が断たれると六入が断たれ、六入が断たれると触が断たれ、触が断たれると受が断たれ、受が断たれると愛が断たれ、愛が断たれると取が断たれ、取が断たれると有が断たれ、有が断たれると生が断たれ、生が断たれると老病死憂悲苦悩が断たれる。

所謂る「断」とは、如来蔵が業種を収蔵しないため、各々の有支を生じず、生死の連鎖が断たれることを指す。各連鎖は如来蔵が生じるが、種子がなければ如来蔵はこれらの連鎖を生じる条件を持たず、生死は終結し衆生は解脱する。ただしこの解脱は未だ究竟徹底したものではなく、仏地に至って修めなければ究竟徹底した大解脱となる。

——生如法師の開示
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