世尊が小乗の解脱道における修証の経典である阿含経において説かれた十二因縁は、声聞縁覚の修する法であり、大乗如来蔵法の修行には関わらず、直接成仏する法ではない。故に究竟の法とは見做すべからず。仏法を学ぶ者は、仏法が一切法空を説くものと誤解すべきではない。一切の空法の中に、空ならざる法が存在する。それが不生不滅の真実心たる如来蔵である。如来蔵なくしては、万法の縁起成り立たず。声聞縁覚が十二因縁法を修し終えれば、縁起性空を証得し、五陰世間の一切法が因縁所生であることを知る。如来蔵を因とし、無明業種等を縁として、一切法の生起あることを悟る。
万法が諸縁に依存し、如来蔵より生じるものであれば、万法は真実ではなく空であり、幻化の仮相である。これにより二乗の者は解脱を得て、生死輪廻の苦を出離する。しかし彼らは未だ大乗法を修証せず、如来蔵の成仏の法を知らず、三乗仏法の内二乗のみを修証し、最上乗法を解さぬまま三界を出離する。彼らには無始無明と塵沙無明が未だ破られず、無明習気と煩悩随眠も断じ尽くされていない。故に彼らは仏と甚だ遠く隔たる。
然るに仏陀が成道時に悟られたものは、縁起性空の二乗法ではあり得ず、必ず最上乗の如来蔵法である。仏陀が明星を夜見て仏性を眼見された時、真実の仏性を証し、仏地の見性法を得て、大円鏡智が現前し、四智円明して初めて成仏された。世人が誤解するような縁起性空という浅薄な二乗法とは本質的に懸隔がある。
もし仏陀が単に縁起性空の二乗法を悟られたのみならば、衆生に大乗の真実たる如来蔵成仏の法を教え導くことができず、仏法は不完全となり、甚大な欠陥を生じ、衆生は真実の最大究竟の利益を得られない。今や衆生の仏法に対する誤解は甚だしく、知見も浅薄である。縁起性空を仏法の中心と重点と見做し、万法の根源と結び付けず、万法の由来を知らず、世界の本源を弁えぬ。これこそ現代仏法の流弊である。
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