衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月21日    土曜日     第1開示 合計392開示

因を識り果に達し、悪を断ち善を修める

善き因には善き果があり、悪しき因には悪しき果があり、善からず悪からぬ因には善からず悪からぬ果がある。すべては因果の理のなかにある。これらの因果はすべて如来蔵によってありのままに実現される。如来蔵は一切の業因果報を平等に実現し、その固有の因果法則に従い、冤罪や誤った裁きは決して起こらない。我々が仏法を学び修行する一環は、悪しき因縁果報を変え除き、善き因縁果報を絶えず増やし、究極の清浄無余の仏果を得るためである。

業因は五蘊が世俗法において造り出し、果報もまた世俗法のなかで実現される。世俗法である以上、それは虚妄の法であり、真実不変の法ではなく、すべて如来蔵が幻化した虚妄の相である。相は存在するが、実質は空である。衆生は往々にして五蘊世間の一切の法を実有と執着するからこそ、五蘊のために一切の業行を造作するのである。もし真に五蘊が我ならざることを証得し、五蘊への執着性を断ち切れば、もはや容易に悪業行を造作することはなくなる。

業因果報が空であり偽りであるとはいえ、報いを受ける時は甚だ苦悩に満ちている。それゆえ我々は因を識り果を達観し、悪業を造らず善業のみを造り、生々世々善果を享受し、成仏に至る必要がある。世尊は慈悲深く、この五濁悪世に来たり、様々な言葉で説法し、衆生に五蘊を我とする邪見を破るよう教え導かれた。それによって衆生はついに解脱を得て自性に回帰することができるのである。我々は世尊の教えに従い、悪を断ち善を修め、一切の煩悩と染汚を除き、心を清浄にし、自利利他を実践し、一日も早く仏道を成就し、円満な仏果を得るべきである。

——生如法師の開示
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