仏は菩薩優婆塞戒経において、一悪衆生の悪業因縁が、国土全体の瓜や野菜の収穫を損なうことができると説かれています。これはなぜでしょうか。
衆生の業報は正報と依報に分かれます。正報とは五陰の色身が受ける因縁果報であり、例えば衆生の色身の種類や状態、四聖六凡における位置、凡夫中のどの道に属するか、六根の具足状況や障害の有無などがこれに当たります。衆生の正報たる色身は、個々の衆生が前世と現世で造った業種によって決定され、単独の如来蔵によって形成されるものです。一方、依報とは衆生が共有する生存環境を指し、これは単独の衆生ではなく共業衆生が共に享受するものであるため、多数の共業衆生の業種によって共同で決定されます。すなわち依報の生存環境とは、縁ある共業衆生すべての如来蔵が、彼らの共有する業種に基づいて生成した因縁果報なのです。
依報たる外界の生存環境は、単一の衆生では決定できず、全ての共業衆生の業縁と業種によって定まります。外界の環境は単独の如来蔵で創造されるものではなく、縁ある衆生の如来蔵が共同で変造するものです。共業衆生の如来蔵は共同で地水火風の四大種子を出力し、衆生が造った業種を放出することで、すべての共業衆生が依って立つ生存環境を共同顕現するのです。
私たちが依存する飲食や農作物の収穫は、縁ある衆生全体の共通業縁によって決定されます。この依報はどのように形成されるのでしょうか。衆生の業には共業と別業があり、別業は個別の業と一部衆生に特有の業を含みます。共業と別業は相対的な概念であり、例えば地域単位の業は共業であると同時に別業でもあります。共業はその地域の衆生が共有する業縁であり、別業は他地域や全世界の衆生と異なる業縁です。すべての衆生の業は、彼らの如来蔵が業縁に基づき業種を出力することで、依報たる生存環境を形成します。ゆえに依報の環境は単一の如来蔵で決定されるものではなく、衆生全体の如来蔵が共通業種によって定めるものなのです。
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