衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月20日    金曜日     第2 回の開示 合計385回の開示

善悪の業の対決

もしある衆生の悪業力が非常に大きく、他の衆生が多少の善業を持っていても、その善業種子の力がこの悪衆生の悪業種子の力に敵わない場合、結果として業の重い方が主となって現行し、すべての衆生は悪衆生と共に劣悪な生存環境に生きることになります。すべての衆生の如来蔵が出力する業種は、この悪衆生の如来蔵が出力する悪業種に及ばず、最終的な果報は悪報となり、瓜果蔬菜が実らず、衆生は飢えに耐え貧窮の果報を現じます。

もしある地域に大修行者が存在し、この修行者の善業種が比較的重く、善の力が強大であれば、その者は地域の依報環境を改変し、瓜果蔬菜を豊かに生長させ、民衆を豊かで安寧な生活に導き、あるいは地域の災障を除去することも可能です。ただしその地域の衆生の悪業が過重である場合、この修行者は全体の劣悪環境を改変できません。自らの善業が比較的重くとも衆生の悪業の力に敵わず、衆生の悪業が余りに深刻であれば、依報は劣悪な環境を主とします。世間に真の修行者が多数存在すれば、おそらく世間の生存環境を改め、衆生の依報を改善できるでしょう。

もし衆生の悪業が極めて重い場合、たとえ多くの菩薩がこの世に来臨しても、菩薩の善業力が強大であれども衆生の悪業力もまた甚大であり、両者の力関係において優勢な方が主導権を握ります。善業の力が悪業の力を凌駕しなければ、悪業を主とします。衆生の如来蔵が悪業種子を出力すれば、現れる果報は悪果となります。もし善業の力が強ければ、例えば極楽世界や他の仏国土においては、仏菩薩の善業力が絶大で悪業がほとんど存在しないため、その仏国土の依報環境は非常に殊勝です。

個々の衆生の修行も同様に、その衆生の悪業と善業の軽重を見定めます。臨終時にどちらの業が重いかによって、その業に牽引され、地獄業が重ければ重い悪業に従って地獄に堕ち、善業が重ければ善業に従って天界に昇ります。もし極楽世界への往生を発願し、その願力が非常に大きく、この願力が悪業力をはるかに超えていれば、命終時にこの強大な願力に牽引されて極楽世界に往生することになります。

——生如法師の開示
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