衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月20日    金曜日     第3 回の開示 合計386回の開示

善悪の業行の因縁果報

我々が仏法を学び修行するには、ある法則が存在します。この法則とは、我々の善悪の業行を見極め、どの業が大きく重いかによって、現世・臨終・来世のいずれにおいてもその重い業を主因として、その重業に従って果報を受けるということです。善業が大きければ、今生において明心見性を果たすか、あるいは臨終に際しより殊勝なる仏国土へ往生することが可能です。しかし悪業が重い場合、たとえ仏法を修行していても、悪業が絶えず牽引するため、今生において三悪道から解脱することは極めて困難となります。その果報は悪業を主とし、臨終には三悪道に堕ちて報いを受け、人身を得ることも、他の仏国土へ往生することも叶いません。

全て衆生の業種は総合的に衡量され、善業の力が強いか悪業の力が強いかが決まります。善業の力が強ければ、現起する外界の生存環境は円満如意でより殊勝なものとなります。もし衆生全体の悪業が重ければ、結果は悪業を主とし、現起する依報は極めて劣悪な生存環境、例えば貧困や災害頻発などの状態となります。ただし大修行者が善業を大きく積めば、全体の悪業の趨勢を転換することが可能です。逆に一人の衆生の悪業が極めて強力であれば、他の者に多少の善業があっても、その者の悪業が依報を転換し、悪業の果報を主因として極めて劣悪な生存環境が現起します。作物の不作や災害頻発は、このような悪人の悪因縁が甚大で、悪業の種子の力が強すぎることに起因するのです。

ただし共業の中にも別業が存在します。例えば航空機事故において、死亡する者もいれば無事帰還する者もおり、また元々搭乗して災難に遭うはずだった者が、何らかの因縁で搭乗を免れ災難を回避する場合があります。これらの因縁果報は極めて複雑であり、仏の一切種智のみが完全に了知し得るもので、等覚菩薩といえども詳らかに理解することはできません。

——生如法師の開示
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