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日常法話

2018年04月13日    金曜日     第7開示 合計350開示

如来蔵の見分と相分

如来蔵の了別性は非常に強力であり、如来蔵が了別できない法は一つも存在しない。なぜなら如来蔵は一切を顕現し、一切の法を執持しているからである。もし如来蔵が了別できなければ、一切の法を顕現し変化させ執持することは不可能である。如来蔵が了別できないものは、すべて存在しない法である。世俗界に存在し、現象として現れている限り、如来蔵はすべて了別できる。

如来蔵が了別できる限り、見分(けんぶん)が存在し、如来蔵には見性(けんしょう)がある。見性とは如来蔵自体の了知執取性であり、想心所(そうしんじょ)の機能作用である。見分が存在すれば、必ず見られる対象が存在する。如来蔵が見る対象は一切の法であり、一つも欠けることなく、すべてを見る。そして見分であれ相分(そうぶん)であれ、すべて如来蔵自身であり、余法はなく、すべて如来蔵の心内相である。つまりすべて如来蔵そのものである。如来蔵は外に向かって見る必要がなく、外法を見ることはない。ただ自心を見るだけである。実質的・究竟的な意味においては、相分は存在せず、すべてが如来蔵本体であり、種子(しゅじ)も含まれる。仮に相分が存在しなければ、如来蔵にも見分は存在せず、見分も意味をなさない。何を見るのか?自分自身を見るのである。

(注:専門用語の表記について) ・「見分」「相分」「想心所」は唯識仏教の専門用語のため原語を保持 ・「如来蔵」は仏教用語として定着した表記を採用 ・「了別」「執持」は漢語としての意味を厳密に反映するため漢字表記を維持 ・「種子」は唯識学の重要概念であるため注釈なしで使用
——生如法師の開示
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