衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月10日    火曜日     第1 回の開示 合計328回の開示

第八識の了別性と非了別性

第八識は分別しないのに、どうして衆生の心行を了別するのでしょうか。第八識自体は分別もすれば分別しないこともあります。何を分別し、何を分別しないかによって、ある法は分別でき、ある法は分別できないのです。その分別しない性質とは、三界世間の万法において、六塵万法の具体的な内容や対象を分別できないことを指します。これは六識の妄心が分別する内容と対象です。第八識は色声香味触法の六塵境界を分別せず、世俗法を分別せず、様々な名詞概念を分別しません。この分別しない性質があるため、六塵が何であるかを知らず、六塵の善し悪しも分からないのです。したがって第八識は六塵に対していかなる心念も起こさず、境に対し心無く、極めて清浄な心地を保ち、染汚がなく、貪瞋痴の煩悩もありません。

一方、第八識には分別性もあります。その分別する内容とは、衆生の心行を了別し、衆生の業種を了別し、衆生の六根を了別し、宇宙器世間を了別し、衆生の十八界を了別することです。衆生の心行を了別するとは、七識心の心所法を指します。第七識の識種子を送り出すことで七つの識が形成され、七つの識の心所法が運行し、心識のすべての活動が生じます。七つの識心所法が運営する全過程と、七識が了別する内容を、第八識はすべて知っています。

第八識は七識の作意と思心所に基づき、七識に配合して万法を生じさせます。七識が運営する時が業行を造作する時であり、業行を造作すると同時に、業種は即時に第八識に貯蔵されます。識種子が生じると再び第八識に戻るため、七識がどのような業行を造作したかは第八識がすべて知っており、業行は種子として保存されます。したがって私たちが行うすべてのことは、第八識が知らないことも記録しないこともありません。

第八識はまた衆生の身根を了別できます。身根には眼根・耳根・鼻根・舌根の五根が含まれます。この五根に意根を加えたものは第八識が自ら執持するものであり、身根の様相はすべて第八識が業種に基づき随時変現するものです。身根にどのような状況が現れ、どのような状況が現れるべきかは、第八識がすべて知っています。現れるべき状況と現れつつある状況、既に現れた状況はすべて因果を離れず、つまり第八識の執持と変現を離れないからです。身根に現れる様々な状況と現れるべき様々な状況は、第七識が第八識の見分に依って了知でき、七識は身根を保護する考えを生じさせ、第八識は業種に基づき七識心に配合して五根身を変化・維持します。

第八識は宇宙器世間を了別します。宇宙器世間は共業衆生の第八識が共同で変現・執持するもので、第八識は自ら器世間を縁とし、絶えず器世間の変現に関与しているため、宇宙器世間の成住壊空が存在するのです。この器世間が以前どのような状態で、現在どのような状態で、未来どのような状態になるべきかは、第八識が業種に基づき了知できます。これを了知した後、意根である第七識はこれに依って起こるべき事柄を知り、鋭敏な衆生は内心で予感を覚え、事前に対策を講じることを考えます。

第八識は十八界を了別します。六根と六識については既に述べましたが、さらに六塵があります。第八識は六塵の具体的な内容を了別できませんが、六塵境界は結局第八識自らが変現・執持するものです。種子を了別できる以上、六塵が以前どのような様子で、現在どのような状態で、今後どのように変化すべきかを、種子と記録に基づき了知できます。種子に基づき六塵を変現しますが、具体的な色声香味触法が何であるかは知らず、ただ変現することと、どのような状態に変わるかを知っているだけで、内容は分からず、自らが変現した六塵を執持するのです。

このように全世界は第八識の一手の中にあります。意根は表面的には主宰者であるように見えますが、実際に一切の法を主宰できるのはこの主人公なのです。この主人公は一切の法を主宰できるように見えますが、実際には主宰する心がなく、一切の法に対し無心で、完全に意根に随順し、業種に随順し、世間にあるべき相貌に従って如実に現れ出し、自らの主張や意見は微塵もありません。なぜなら我性がなく、主宰しないからです。

このように分析すれば、第八識が何を分別し何を分別しないか、果たして分別性があるかどうかが分かるはずです。第八識を証得した後、様々な智慧が生じると、次第に様々な側面から観察できるようになります。第八識を証得していない時は観察できず、その多くの機能や体性を知ることができず、私たちの智慧は段階的に成長しません。したがって第八識を証悟することは極めて重要であり、私たちの修行の初歩的な目標はこれであるべきです。

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——生如法師の開示
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