衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月06日    金曜日     第4 回の開示 合計311回の開示

七識の心は如来蔵に倣うべく、六塵の境界に執着せず

問:「応に住する所無くして其の心を生ず」という場合、もしこの心が如来蔵であるならば、なぜ仏は「応に」と言われたのでしょうか。真実の如来蔵は本来無住のものではなかったでしょうか。「応に」という意識の心は制御できるものではないのでは。師父、ご指導をお願いいたします。

答:「応」とは、第八識が縁に応じて万法を現行する際に無住であることを指します。第七識もまた同様に、六塵の境界や一切の境界に対し無住の姿勢を持つべきです。これが「応」の真意であります。

——生如法師の開示
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応無所住而生其心の真意

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無所住に関する問答

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