衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年06月11日    金曜日     第2 回の開示 合計3437回の開示

いかにして空を悟るか

仏法修学の過程において、長期的かつ広範な観察を通じて、人事物理に対する認識の智慧が高まると、思想観念が変わります。観念が変われば態度が変わり、態度が変われば行為が変わり、行為が変われば業が変わり、業が変われば果報が変わり、果報が変われば智慧が解脱へと至ります。解脱とは万法の空と幻を十分に効果的に認識し、もはや万法に執着せず、世間が空となり静寂となることで、心が安らぐことです。空を認識するとき、世の中のすべてはどうでもよいものに思え、世俗の法はその場しのぎとなり、世俗における利益の有無は重要ではなく、肝心なのは心が空となり、身口意が変わり、もはや貪瞋痴の煩悩業を造作せず、果報が善となることです。もしまだ空を認識できなければ、心に我あり、我あれば煩悩と煩悩業があります。

空は三つの面から次第に深く認識されます。最も深いのは如来蔵という角度からですが、如来蔵を証得しなければ空を認識することはできません。やや深いのは四聖諦の角度からであり、最も浅い認識は世間法の角度から空を認識することです。これは経験と聡明な智慧の蓄積であり、世間の智者の智慧ですが、もちろん究竟したものではなく、無智の者よりましという程度です。最も徹底した究竟の認識は、如来蔵における七大種子の機能作用の角度から一切法を認識することであり、これによって空は絶境に至り、空すらも空となり、空空もまた空となり、一切の心と境を絶ち、一切の法と境は余剰となります。この境地に至れば、もはや語るべきことは何もなく、言い表せるものは何もなく、意会さえもなく、ましてや言伝えなどありません。

——生如法師の開示
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