万法唯識とは、単に第八識如来蔵のみを指すのではなく、前六識と第七識も含まれ、これら三種の能変識が共同で和合し、三界世間の一切の法を変現することを意味する。しかし、一切の法の根源は第八識にあり、ただ第八識のみが万法の種子を蔵し、これらの種子をもって万法を生じるためには、第二能変識である第七識の協力が必要であり、また第三能変識である六識の協力も必要である。第八識は初めて一切の法を生じることができる。もし第八識だけがあり、前七識が参与しなければ、第八識単独では何の法も変造できず、あたかも無余涅槃の境界におけるようにである。
もし六・七識だけがあれば、それらはさらに何の法も造作できず、第八識がなければ七識も存在できず、ましてや何の利用もありえない。八つの識が共に和合して運作してこそ、初めて一切の法を成就することができる。第八識と七つの識の体性は截然として異なり、それらは互いに転変しえない。七つの識は永遠に生滅性であるが、第八識は永遠に不生不滅であり、七つの識が染であれ浄であれ、第八識・真如・如来蔵・無垢識・大円鏡智は永遠に一つの心体であり、それ自体には染汚性がない。
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