衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月31日    土曜日     第3開示 合計284開示

説法の次第

説法は衆生の機根に合わせるだけでなく、機根を超越し、衆生の機根を引き上げ導くべきである。なぜなら衆生の機根は千差万別であり、浅いレベルの教えだけを説くべきではなく、深い教えやさらに深遠な教えも説き明かすべきだからである。説くことは必ずしも現在の衆生のためだけではなく、後世の衆生や大いなる器量を持つ者のためでもある。器量が足りない者は聞き流せばよく、理解できなければ疑問として留め置くが、軽率に結論を下すべきではない。

私が説法する際にはまず下準備を行う。様々なレベルの衆生すべてに配慮し、現世と後世の両方に配慮する。さらに重要なのは仏教全体の発展を考慮することであり、したがって個々の衆生の具体的状況に完全に対応することはできず、当然ながら一部あるいは多くの者が相応しない状況も生じる。これらの状況は私がすべて承知しており、一切のことは私が自ら手配している。仏が背後で導いておられ、釈迦仏は娑婆世界の仏法について総合的かつ全体の計画を持っておられる。私たちはそれを知らないが、ただ安住し、一時的に自分に相応する教えを吸収し、深遠な教えは一時的に保留して構わない。

世尊が娑婆世界で成道された直後、大心の菩薩衆生に華厳経を説かれた時、無量の諸天の大衆や人の中の弟子たち、特に声聞の弟子たちは理解不能であった。世尊はこれをご存知であったが、それでも華厳経を説かれ、娑婆世界全体の仏法の土台を築き、成仏への道筋を明らかにされた。そうして初めて弟子たちは仏法修行の全体的な次第を理解し、心の中に明確な見通しを持つことができたのである。

華厳経を説き終えてから、世尊は初めて弟子たちに最も初歩的な仏法を教え導き、大衆を率いて四阿含経の修行を始められ、我見を断じて初果を証得するところから始められた。

私の弘法もこれと同じである。衆生が修行すべき仏法のすべてを下準備し、修行の肝要な点を明らかに説いた後、改めて皆を導いて基礎から、初歩的な仏法から修行を始めるのである。これまでのネット上での弘法は真の弘法ではなく、あくまで下準備と予備段階に過ぎず、真に衆生を導いて修行させることはまだ始まっていない。

——生如法師の開示
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