法を説くことは、衆生の根機に合わせるだけでなく、根機を超えて、衆生の根機を引き上げるべきです。なぜなら、衆生の根機は千差万別であり、浅いレベルの法だけを説くべきではなく、深い法やさらに深い法もすべて説くべきだからです。説くことは必ずしも現前の衆生のためではなく、後世の衆生や大根器の者のためにもあります。根機が足りない者は、聞いただけで済ませ、理解できなければ疑問を抱くが、軽々しく結論を下すべきではありません。
私が法を説く際には、まず下準備を行います。三六九等の衆生すべてに配慮し、今世も後世も配慮します。さらに、仏教全体の発展を主に考慮するため、各衆生の具体的な状況を完全に配慮することはできず、当然、一部の人々、さらには多くの人々が相応しないこともあります。これらの状況は私の心の中でよく分かっています。すべてのことは私自身で手配しており、仏は背後で指導しています。釈迦仏は娑婆世界の仏法について総体的な計画を持っていますが、私たちは知りません。ただ安住して、一時的に自分に相応する法を吸収し、深い法は一時的に置いておきます。
世尊が娑婆世界で成道したばかりの時、大心菩薩の衆生のために華厳経を説かれました。無量の諸天大衆や人中の弟子、特に声聞の弟子たちは、まるで耳が聞こえず口がきけないかのようでしたが、世尊はそれをご存じでした。しかし、世尊は華厳経を説き、娑婆世界全体の仏法の下準備を整え、成仏の道を明確に説かれました。そうして弟子たちは仏法修行の次第を理解し、心の中で把握することができました。
華厳経を説き終えた後、世尊は弟子たちに最も粗浅な仏法を教え始め、大衆を導いて四阿含経を修行させ、我執を断ち初果を証得することから始められました。
私の弘法も同じく、衆生が修行すべき仏法の下準備をすべて整え、修行の鍵となる点を明確に説き、その後で皆を基礎から、粗浅な仏法から修行を始めさせます。これまでのネットでの弘法は、真の弘法ではなく、ただの下準備と予熱段階に過ぎず、真の衆生指導の修行はまだ始まっていません。
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