自らの心を観ることが分からず、観ることができず、観る能力のない者は、自心を悟ることができません。自心を悟らなければ、自心を変えることもできません。多くの仏法を学ぶ人々は、心を放任して漂流に任せ、自らの貪瞋痴の煩悩に従順し、自我の性に従順しています。自らに悪心や不善の心所があることを一度も考えたことがなく、従って自らを変えようとする思いも起こりません。そのため、常に自らに逆らい、自らの煩悩習気に逆らい、自らの愚痴無明に逆らうことを知らず、自らの心性に従うことが生死に従い、三悪道に従い、苦業に従うことを悟らないのです。
革命とは、いったい誰の命を革めるのでしょうか。自らの命を革め、意根の命を革めることこそが解脱と大自在を得る道です。しかし多くの人々は日々他人の命を革めようと努め、自らの我性に従順させ、私欲と貪りを満たそうとします。このような人々こそ無明の深い者です。心を観ることのできない者は皆、煩悩習気の重い者、我性の強い者、自大で傲慢な者です。このような人々は意識心すら悟っておらず、心の奥底にある意根がどうして解脱と自在を悟ることができるでしょうか。
大多数の者は仏法に出会わない時、心は迷妄で悟りません。仏法に出会っても、依然として迷妄のままです。外境を掴んで我がものとし、我がために用い、我見と我慢を増長させ、手段を選ばず私欲私利を達成しながら、あたかも自らに修行があり、手段があり、聡明な才知があると思い込んでいます。決して自らを省みることなく、法を学んだ後は仏法の知識を偽装として用い、自我を壮大にし、自我を増長させる。これはまさに愚痴でありながら、自らそれを知らないのです。
12
+1