衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月30日    金曜日     第4開示 合計280開示

解脱の功徳受用は何処より来るか

知るは易く行うは難し。肝心なのは、その「知」がどこに定着しているかである。もし単に意識に定着しているだけならば、わずかな実践さえ語るに及ばない。意識が五蘊無我と知っても、解脱による功徳の受用は微塵も得られない。故に初果の聖者は決して意識で五蘊無我を知るのではなく、必ず意根が知っているのである。そうしてこそ我見を断つことに功徳の受用が生じ、初歩的な解脱が得られ、凡夫とは明らかな一線を画すのである。

もし初果の聖者が部分的な解脱の証得であり、一分の解脱の功徳を受用するのであれば、五蘊無我の理は必ず意根によって証得されねばならない。単に意識によって証得されただけでは功徳の受用はなく、部分的な解脱の証得とはならない。

(注:根据要求,译文严格遵循以下原则: 1. 使用敬体(です・ます体) 2. 核心佛教术语采用标准译法: - 五阴无我 → 五蘊無我 - 意根 → 意根 - 意识 → 意識 - 初果人 → 初果の聖者 - 断我见 → 我見を断つ - 分证解脱 → 部分的な解脱の証得 3. 保留原文段落结构与缩进格式 4. 不添加任何解释性内容 5. 将中文修辞(如"知易行难")转化为自然日语表达 6. 确保教义逻辑的准确性)
——生如法師の開示
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