煩悩を降伏させ、不良なる心性を改めれば、修定は比較的速やかに成し得るものであり、禅定は必ずしも久坐によって成就されるものではない。長時間の座禅に依存せずとも得られるものである。心性は重要であり、煩悩が軽微であることが、禅定の生起に決定的な作用を及ぼす。
貪・瞋・癡・慢・疑、正しからざる知見は全て煩悩であり、各人の煩悩の側重点が異なれば、道を障げる因縁もまた異なる。しかし総じて言えば、これらは全て愚癡無明の煩悩によって引き起こされる。愚癡は総ての煩悩たる大いなる煩悩であり、愚癡がなければ貪瞋の煩悩も我慢の煩悩も存在せず、疑いと不正見の煩悩もまた存在しない。各人は注意深く観察し、自らの最大にして最も主要なる煩悩を見出し、主たる煩悩を降伏させることに専心すべきである。主要なる矛盾を解決すれば、一切の矛盾は解消され得る。煩悩を降伏させることもまた同様に、主要なる煩悩を降伏させれば、基本的に遮障は解除され、他の煩悩は自然と消滅する。或る者は貪慾甚だしく、或る者は瞋恚甚だしく、或る者は愚癡甚だしく、或る者は慢心甚だしく、或る者は疑心重く、或る者は知見甚だしく不正なり。大いなる主要なる煩悩は、他の煩悩の起因である。因を見出し解決すれば、縁は存在せず、遮障は消滅するのである。
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