衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年03月10日    土曜日     第4 回の開示 合計184回の開示

無所住心の状態

意が移ろわず、心がどこにも留まらない時、これは意識に定力が生じ、法に住しない状態である。意識は定境の法塵を了別し、自らが境界に転じず、色声香味触法を意に介さないことを知る。この知るという知は、意識の知であり、意識の反観性であり、意識の証自証分の現起である。自らがすでに心に住する所なきを知るこの知は、必ず意識心であり、心の住する所なきは法塵の境界である。この境界は意根と意識に相応し、意識の了別する内容であり、第八識には相応しないが、また第八識を離れて存在するものでもない。

真に心の住する所なき、六塵の境界に住しない心は第八識である。第八識は六塵に対向せず、六塵に住せず、また六塵を了別しない。七つの識が存在する限り、必ず六塵に相応し、必ず六塵を了別し、確実に六塵の中に住する。たとえ意識心が極めて微弱であっても、定境の法塵を知ることができる。故に知がある限り、意識心が存在する。一般の人はただ意識に相応するのみで、第八識に相応することはできない。福徳・禅定・般若の智慧など、種々の菩薩の条件を具えていないが故に、第八識を見出すこともできず、第八識の無所住の運行状態を観察する方法もない。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

真妄不分の誤解はなぜあるのか

次の記事 次の記事

六七識同時証法による薫習成就

ページのトップへ戻る