一切の鋭き剣は、皆自らの心より放たれ、他処に至ることはありません。故に、人を傷つけることは自らを傷つけることに等しく、人を利することは自らを利することに等しいのです。
衆生は皆一真法界において矢を放ち、また放たれ、一真法界そのものを射ているのであります。しかるに一真法界は傷つくことも損なわれることもありません。この理を明らかにせぬ者は、即ち無明であります。無明が深重であれば、必ず生死に沈淪し、解脱を得ることはできません。
一真法界は大いなる網の如く、万法・億万法・億億法・無量無辺の法をその中に網羅しております。如来蔵は動かぬ道場にして、あらゆる所に至り、あらゆる法を摂取し、一法たりとも其の外に出るものはありません。意根はこれに随い、遍く一切の所に至り、遍く一切の法に縁しますが、来たり去ることも動くことも要しません。六識は意根に随い、来たり去ることもなく、皆如来蔵の中にて識別し分別し造作しますが、道場を離れることなく、仏事を行じているのです。
仏の道場においては、如何なる事を為そうとも、皆仏事を為すのであります。たとえ魔王波旬が仏法を破壊するも、これまた仏事を為すのであり、魔事は存在しません。一切の法は仏法であり、如来蔵そのものであるからです。如来蔵を超えるものなく、一真法界を超えるものはありません。故に魔は魔事を為さず、魔事即ち仏事、二つではなく別れもないのです。もし人が魔と仏を分別する者があれば、即ち無明であります。無明が除かれなければ、仏となることはできません。
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