あらゆる鋭い刃は、すべて心から放たれ、他処には至らない。ゆえに、人を傷つけることは自らを傷つけることであり、人を利することは自らを利することである!
衆生は皆、一真法界において矢を放ち、また射られる。皆が一真法界を射ているが、一真法界は傷つくことも損なわれることもない。この理を明らかにしないならば、それは無明である。無明が深重であれば、必ず生死に沈淪し、解脱を得ることはできない!
一真法界は一つの大いなる網であり、万法、億万の法、億億の法、果てしなく尽きることのない法を網羅している。如来蔵は動かぬ道場であり、あらゆる処に行き渡り、あらゆる法を摂取する。一つの法もその外に出るものはない。意根はこれに随い、遍く一切の処に至り、遍く一切の法を縁とし、行き来も動くことも必要としない。六識は意根に随い、行き来も必要とせず、すべて如来蔵の中で了別し分別し造作し、道場を離れることなく、仏事を行う。
仏の道場においては、何事を行うにせよ、すべて仏事である。たとえ魔王波旬が仏法を破壊しても、それも仏事であり、魔事は存在しない。なぜなら一切の法はすべて仏法であり、すべて如来蔵であって、如来蔵を超えるものはなく、一真法界を超えるものはないからである。ゆえに魔は魔事を行わず、魔事は即ち仏事であり、二つではなく別れもない!もし人が魔と仏を分別するならば、それは無明である。無明を除かなければ、仏となることはできない。
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