衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年03月04日    日曜日     第6 回の開示 合計145回の開示

識・触・受の原理

根・塵・識の三法について言及する際、当然ながら六識の五つの遍行心所法、即ち触・作意・受・想・思に及ぶ必要があります。六識における触は三和合を指し、三和合とは根・塵・識の三者が相和合することを意味し、これを触と称します。この三者は不可欠です。六根と六塵が触れた後、第八識は六識を生じ、六識は六塵に触れます。その間も六塵は引き続き六根に触れ続けており、六根から離れることはありません。なぜなら内六塵は勝義根の処に生じるものであり、意根も常に法塵と触れ合っているからです。ここで言う触とは、根と塵が触れることを指し、意根の触や第八識の触は含まれません。もっとも意根と第八識の触は、直接相分に触れるだけでよく、他の根による引生を必要としません。

意根の触は、直接第八識が生じた法塵に触れます。第八識の触は直接根と境、つまり根身・器界および業種に触れます。六識の触心所と第七識・第八識の触心所には差異があり、六識の触心所は必ず根による引生を必要とし、六根を離れずして触が成立します。受心所も同様で、受心所は六識が六根・六塵に触れた後に生じる受を指します。ここでの受には領納・領受のみならず、その後続く情緒的な感受、即ち苦受・楽受・不苦不楽受が含まれます。しかし第七識と第八識の受は単純な領納・領受に留まり、一切の情緒を伴わず、苦楽受がなく、ただ捨受(不苦不楽受)とのみ相応します。

——生如法師の開示
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