通常、我々が現量境界と称するものは、現在・即今・現前に生起している種々の境界を指します。現量了別とは、六識が六塵に対し現前観察・了別・証知によって諸法の実在性を把握することを意味し、比較・対照・想像・推理などの思惟活動を介さず、了別されるものは全て事実の真実相です。前五識は完全に現量によって五塵境界を了別し、現在存在し正在発生・正在運行中の五塵境界を即時に把握します。第六識には比量・非量・現量の三量の了別がありますが、第六識も現前する境界を現量了別し得ます。多くの場合、第六識の了別は比量と非量に属します。六識が現量で境界を了別するとは、即時に現前する境界を、比対や想像参究を要せず、了別結果が事実と完全に符合することを指し、これを現量了別と称します。
意識心が現前境界を了別する際、例えば眼前の山河大地を観察する場合、眼識は山河大地の顕色(山水の色調、大地の色彩など)を現量了別します。色境を認知するや、最初に眼簾に映じるのはこの景象そのものです。意識は山河大地の形色(山の大小高低形状、河川の長短広狭深浅など)、表色(山勢・水勢・水流の状態など)、無表色(山の巍峨・険峻・禿山・聳立、水の澎湃・幽邃・静謐など)を了別します。これらの境界は現前に存在し、意識が現前観察・識別し得るものが現量境界であり、比較も幻想も要せず真実を了別するため、意識も眼識も共に現量了別を行います。意識には比量と非量の了別も存在し、ある境界は比対と想像思惟を経て初めて明確に了別されます。これが意識の比量了別です。もとより了別誤謬・判断錯誤・思惟錯誤が生じる場合もあり、このような錯誤了別は必ず非量了別に属します。
思惟判断を誤り、経験と智慧が不足している場合、比量から導出される結論は往々にして錯誤的結論となります。結論が事実に合致しない場合、これを不如実了別と称し、非量了別に帰属します。この種の了別は実相に符合しないためです。愚痴の衆生においては非量了別の発生確率が高く、独頭意識においても同様です。神経や精神に異常を来した者においては更に非量了別が頻発します。例えば或る者が狼吞虎咽に食物を摂取し、美味しそうに喫している様子を見て、傍観者は「この食物は必ず美味に違いない。さもなければあれ程美味しそうに喫すまい」と判断します。当人が長らく空腹状態であったため、何を喫しても美味しく感じている事実を推量できません。傍観者は追随して同食物を喫し、第一口を咀嚼するや直ちに吐き出し、黴臭を感知して嘔気を催す例があります。これは比量的錯誤了別による判断錯誤と経験不足に起因し、この種の事例は枚挙に暇がありません。
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