衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月22日    火曜日     第4 回の開示 合計1200回の開示

心が出家すれば、身はさらに出家できる

仏法が滅び尽きる時、『首楞厳経』と『波舟三昧経』が最初に消滅し、十二部経はその後を追うようにして滅び、完全に姿を消し、文字も見られなくなる。沙門の袈裟は自然に白く変じる。

沙門とは黒衣をまとう出家者を指し、白衣を着る者は在家者である。袈裟が白く変じることは、出家者が全て還俗するか、あるいは出家する者がいなくなることを意味する。結果として、仏法は完全に滅びる。これは仏法が最初から最後まで、出家者によって担われ伝えられてきたことを示しており、もし出家者がいなければ伝える者もおらず、仏法は必ず滅亡する。

我々仏弟子には、仏が残された法宝を護持する義務がある。最良の護持とは出家修道し、出家の身をもって仏法を広め、仏法を発揚させることである。既に心で出家を遂げた者ならば、身が出家しない理由はない。なぜなら身体には自主性がなく、完全に心によって支配され、心の命に従うものであるからだ。心さえ出家すれば、身の出家に何の妨げもなく、心がひとたび決断し命じれば、身は必ず無条件に従う。

よって心出家した者は、世間への未練がなくなるべきである。世俗の五欲の楽しみを貪らず、財・色・名誉・飲食・睡眠を貪らず、色・声・香・味・触を貪らない。世俗の職責など、仏教三宝の職責に比べれば遥かに重要ではない。過去には数多くの国王や皇帝、大臣や高官が国家の興亡を担い、国民全体の重責を背負い、また多くの妻妾や子女を抱えながらも、ためらうことなく出家修道した。仏在世の人々は、妻子が地位も自主権もなく、夫や父親に従属し、生活の全てを依存していたため、男性が仏に従って出家する際、妻子を他者に託さざるを得なかった。彼らが出家修道したのは、ひとえに清浄を求めるためであり、また仏教全体のためであった。これほど多くの大福徳の者が出家して護持したからこそ、仏教は興隆し、代々今日まで伝わってきたのである。

では我々末法の仏弟子たる者、既に心出家を遂げているなら、いかなる理由があって身出家できないことがあろうか。もし意識心だけが出家しているなら、身出家を保証し促すことはできない。意根が出家して初めて、身もまた出家することを保証し決定するのである。ただ意識が証果し明心見性しても、意根が証果し明心見性していなければ、世俗の利益に執着を断ち切れず、身を同時に出家させることを望まないのである。

——生如法師の開示
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