意根の平等性智は、一切衆生を自己と平等無差別に見ることである。人我の区別なく、真如仏性を等しく観じ、分別の念を起こさず、万法一如を観じて分別の念を起こさない。しかし意根がいつまでも主導識として作用するのは、これは変えようのないことである。ちょうど一国に指導者がいなければ成り立たず、二人の指導者がともに主導権を握れば天下が大乱するように、五蘊に二つの主導識があれば、これまた大混乱を来すのである。
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