衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年02月12日    月曜日     第5開示 合計30開示

物事を考える際、時々誤った物を手に取ってしまうのはなぜでしょうか。

問題を考える際、意識は非常に集中して思考に没頭し、手に取るものへの注意はごくわずかな精力しか割かれないため、選択すべき対象が本当に自分が望むものかどうかを正しく判断できなくなる。身体の識別機能は極めて弱く、必ず意識心と連動して初めて判別可能となる。意識心が散漫になると、誤ったものを手にしてしまう。したがって注意力が散漫で集中力に欠けると、過ちを犯すことになる。しかし訓練を積み定力のある者は、六方を観察し八方の音に耳を傾け、あらゆる事柄を調和よく処理できるため、物事を適切に成し遂げる。よって専注・禅定・定力は極めて重要である。

定力が備わっている時、意識の思考は明晰かつ明瞭となり、智慧が生起するため、物事を秩序立てて遂行できる。これは世間法上の智慧も出世間法上の智慧も同様である。仏法においてある法義を明瞭に思索するには、注意力を非常に専一に保ち、雑念による干渉を排除しなければならない。専注して思惟した後に初めて法義の内実を理解し、経典中の真実義を把握できる。したがって注意力の集中は重要であり、定力は智慧が生起する鍵となる前提条件である。ごく少数の訓練を積んだ者が複数の事柄を同時に処理できるのは、その定力が卓越しているためである。一方、ある者は一つの事すら適切に成し遂げられない。これは彼の意識心が過度に散乱し、微塵の定力もなく、思考が混乱して浅薄であるが故に、如何なる事柄も満足に達成できないのである。

——生如法師の開示
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