思考にふける際、意識が一点に集中していると、手に取る物への注意力が極めて僅かとなり、自らが求めるものを正確に判断選択できなくなります。身識の弁別力は甚だ微弱なため、必ず意識心と共同して初めて判別可能となります。意識が分散すれば誤って物を取り、注意力が散漫で専一でなければ過ちを犯すのです。しかし訓練を積み定力ある者は、六方を観じ八方を聞き、諸事を調和よく処理できます。故に専注・禅定・定力は最も重要であります。
定力を具えれば意識の思考は明晰となり、智慧が生じ物事を秩序立てて行えます。世俗法における慧も出世間法における慧も同様です。仏法において法義を明らかにせんとする時、雑念なく専一に集中せねばなりません。専注して思惟して初めて法義の真髄を悟り、経文 の真実義を理解できるのです。故に注意力の集中は肝要であり、定力は智慧生起の鍵となる前提条件です。稀に訓練を積んだ者が同時多処理を成し得るのは、卓越した定力によるものです。一方で一事すら成し得ぬ者は、意識が極度に散乱し毫厘の定力もなく、思考が錯綜浅薄な故に、何事も成就できないのです。
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