問:色身を如来蔵と説くのは誤りでしょうか。色身は如来蔵性であるとしか言えないのでしょうか。
答:色身と如来蔵はパンと小麦粉の関係に譬えられます。もし私が「一切の法は如来蔵である」と説けば正しく、他人が同じことを言えば誤りとなります。これは私が如実に観行を成し遂げているため、如何に説いても道理に適うからです。観行を成し遂げていない者は、如何に説いても正しくなりません。その真理を証得した者であれば、縦横無尽に説いても顛倒することはありません。証得していなければ、それは推測や想像に過ぎないのです。
一切の法には仏性の働きが具わり、全ては仏性の働きによる結果です。故に楞厳経において仏は「一切の法は如来蔵性である」と説かれたのです。
仏性が働いた後に初めて如来蔵は造作をなします。仏性は目に相当し、心所法は手足に相当するのです。
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