衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年09月24日    金曜日     第1開示 合計3511開示

円覚経における奢摩他(śamatha)の修習方法

若诸菩萨唯取极静,由静力故,永断烦恼,究竟成就,不起于座,便入涅槃,此菩萨者,名单修奢摩他。第一種、奢摩他のみを単修する方法は、止を修める方法、すなわち禅定を修める方法であり、禅定に依って順次一切の煩悩を断除し、座を起こすことなく涅槃に入ることができます。これは菩薩の修行であり、菩薩の修行はもちろん無余涅槃 (Anupadhiśeṣa-nirvāṇa) を取ることはなく、最終的には仏地の無住処涅槃を証得して、究竟仏の涅槃となります。ここに一つの重要な問題があります。これらの菩薩の修行は禅定のみを修め、心を清静 (praśama) の極みまで清静にし、この清静の力に依って永遠に煩悩を断除する、というのです。つまり、心が極めて静かで極めて静かになれば、雑思妄念がすべて消滅し、煩悩も断除され、さらには一切の煩悩を断除するということです。単なる禅定では煩悩を断除できないのではないでしょうか。ここでなぜ、菩薩が定を修めて静を取れば一切の煩悩を断除できると言うのでしょうか。

外道が修める純粋な禅定は、根本煩悩を断除することはできず、粗重な枝葉煩悩である大小の随煩悩を降伏できるだけです。後世になって禅定が消滅すると、根本煩悩に依って、枝葉の大小随煩悩はまた現起します。なぜなら外道は禅定の中で解脱の智慧を得てはいても、心が完全には空になっておらず、空でない部分がまだあり、空が究竟していないため、根本煩悩を断除することができず、粗重な煩悩を断除できるだけであり、これを煩悩の降伏と名づけるのです。外道は煩悩を降伏した功徳によって、少し仏法を思考すれば、我見 (ātma-dṛṣṭi) と根本煩悩を断除して、無余涅槃 (Anupadhiśeṣa-nirvāṇa) に入ることができます。それゆえ禅定の功徳はやはり極めて大きく、心が静かになれば智慧が生まれるのです。

阿羅漢と辟支仏は解脱の智慧があるため、禅定の中で得た空は、外道たちよりさらに究竟で、純粋で、深いものとなり、それゆえ根本煩悩および大小の随煩悩を断除することができますが、煩悩の習気を断除することはできません。一方、菩薩は解脱の智慧があるだけでなく、般若 (prajñā) と唯識種智の智慧もあり、禅定の中で得た空は阿羅漢や辟支仏よりもさらに究竟で徹底したものであり、この空の力によって、煩悩の習気を含む一切の煩悩を断盡することができるのです。煩悩とはすなわち無明であり、煩悩を断盡するとは無明を断盡することであり、無明を断盡すれば、究竟の仏果を成じて、究竟の無住処涅槃を証入します。

菩薩が煩悩を断じるのは永断であり、いかなる煩悩も、いかなる無明も再び生起することはありません。金鉱から黄金を精錬し出せば、再び不純物が混ざることは決してないのです。これが心が寂静の極みである寂静に達した功徳であり、一切の法を取らなければ、無明は断盡され、一法も取らなければ無明はなく、再び縁に歴して煩悩を対治する必要はなく、人の中で自心を反観し、直接に万縁を棄捨し、万法を放下して、心を直接に空の底まで空にし、純粋に空にし、究竟に空にすれば、涅槃に入ることができるのです。これが菩薩が単独で奢摩他のみを修める方法です。

——生如法師の開示
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