楞厳経は如来蔵 (tathāgatagarbha) の法を最も徹底的に説いた一冊であり、開悟の法門として当然の名誉に値するものであり、私たちに諸法の実相を悟らせ、人の根器 (indriya) に応じて、悟りの深浅の階層はさまざまであり、甚深の道種智を具足するに至ります。皆さんの菩薩の六度の条件が具足し、戒定慧も具足していれば、因縁の時節が到来したとき、楞厳経を一読するや、たちまち悟道するのです。
禅定 (dhyāna) の基礎がなく、未到地定 (anāgamya-samādhi) が具足せず、真実の参究の体験がなければ、悟道は論外です。未到地定があることと、未到地定が具足していることとの間には、なお一定の差と距離があり、多くの人は未到地定がまだ修めて生じるに至っておらず、未到地定の具足など論ずるに至らず、それゆえ悟道からはなお極めて遠いのです。未到地定が具足していないときは、意根によって参究することができず、意識の解析の段階にあるだけで、階層はきわめて浅く、深く観行 (vipaśyanā-caryā) することができません。定力が不足していれば、心念は一処に定まらず、しばしば念が走り、心が散動して、真の智慧は生まれません。禅定とはこのように重要なのです。
因縁の時節が到来したときには、カチッと一瞬で悟ってしまい、遮ろうとしても遮ることができません。これが頓悟です。次第に分かっていくものは、意識が解析して出したものであり、実際の作用はありません。
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