業力によって突然の不慮の死を遂げると、心の準備ができていないため、一般的には容易に再び投生することができません。投生できなければ孤魂・遊魂となってしまいます。特に、死んだ時に死体が欠損していたり、まったく残っていなかったりする者は、なおさら投生できません。このような衆生は心に帰属先がなく、恐れおののき、非常に苦しみます。不慮の死を遂げた者は投生しにくく、しばしば自分が死んだ場所で機会を待ったり、あるいは方法を考えて事故を引き起こし、新しく死んだ者の魂に乗じて再び投生しようとしたりします。俗に「替え身を捕まえる」と言われるものです。自殺した者も同様で、替え身を捕まえてこそ、ようやく投生できるのです。それゆえ、事故が起きた場所では、その後しばらく間を置いて再び事故が起き、さらには繰り返し何度も事故が発生することがあります。地上だけでなく、空中や水中の事故も同様で、多くの事故は衆生の執念によって引き起こされているのです。
これらの横死・不慮の死を遂げた者を救い済度し、一日も早く投生できるようにするためには、私たちは彼らのために念仏し、経を読誦して回向 (pariṇāmanā) し、道理をわからせ、執着と執念を取り除き、彼らの福德を増やして、機縁があれば投生したいと思えば投生できるようにし、死んだ場所に固執してさまよい続けないようにしてやらねばなりません。私たちは慈悲心を発し、少し時間を割いて念仏し、経を読誦して、今回の航空事故の犠牲者たちに回向 (pariṇāmanā) すべきです。彼らが一か月以内に投生できれば、今後同じ場所で再び不慮の事故が起こることはないでしょう。
人は誰でも遅かれ早かれ死にますが、できるだけ横死せず、不慮の死を遂げないようにしなければなりません。最善は善終・自然死であり、少なくとも全身を保って死ぬことで、そうしてはじめて後世のことがうまく運びます。良い死・善終もまた福德の感応であり、善業の招きによるものです。それゆえ、私たちは日々の生活の中でできるだけ縁に随って善を修め、徳を積み、悪事を働かず、人を損なうことは決してしてはなりません。特に三宝に対しては、護持できるならできる限り護持し、護持できないとしても毀謗して破壊的な作用を及ぼしてはなりません。言行に欠けるところがないようにし、今世・後世における重大な悪報を避けなければなりません。
今回の航空事故の犠牲者の中には、人生がかなり円満で幸福だった人は多かったのではないでしょうか。仕事も事業も家庭もなかなか良くて、羨ましがられていたのではないでしょうか。しかし、その結末はどうだったのでしょうか。数十年のいわゆる円満・幸福・快楽の後の後世は、千万年あるいはそれ以上の苦痛であり、流浪して居場所も定まらず、身も心も安らかになれず、色身をひとつ持つことさえ難しいほどなのです。それゆえ、智慧ある人は、視野を必ず長い目で見据え、格局は必ず大きく、眼界は必ず広く、高く立ち、遠くを見て、有限の生の力をもって、永遠の安穏を勝ち取らねばなりません。賢明で智慧ある人になりなさい。目先のことしか見えず、心が狭く、心量が小さく、眼前の蝿の頭ほどの利益ばかりを顧みて、未来の無量劫にわたる生死の苦痛を顧みないような人になってはなりません。
どれほど多くの人が、「私はまだ出家できない、まだ心を尽くして修行できない。世間においてまだ責任と義務があるからだ」と言い訳をするでしょうか。しかし、もしあなたの家族や親戚・友人が突然姿を消してしまったら、あなたの責任と義務はどうなるのでしょうか。もしあなた自身が突然姿を消してしまったら、責任も義務も何の話でしょう。それゆえ、生きているうちに、まだ精力のあるうちに、真に意味のあることをより多く行い、より長い将来のためになることをより多くすべきです。目先の数十年だけを顧みてはなりません。数十年という時間は確かにごく短いものであり、未来の長劫は非常に長く、長すぎて計り知れません。あなたはこの数十年の人生の享楽を気にかけるべきなのでしょうか、それとも後世の長劫にわたる安穏をより考慮すべきではないでしょうか。世間のことなど、とっくに心は鏡のように清らかであるべきで、いったい何がまだ自分の目と心智を迷わせることがあるのでしょうか。智者は善く思うべきです。
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