瑜伽師地論 第二十九巻(二)
原文:**云何名为一切善法。謂若彼対治。若蓋対治。若結対治。未生已生。応知如前。悪不善法若時未生。悪不善法先未和合。為令不生発起希願。我当令彼一切一切皆不復生。是名於諸未生悪不善法。為不生故生欲。**
釈:いかなるものを一切の善法というのか。善法とは悪法に対する対治であり、悪法に相反し、悪法を降伏させる法を善法という。例えば煩悩の蓋障に対する対治、煩悩の結縛に対する対治である。善が生じれば悪は滅びる。太陽が昇って暗闇を追い払えば、暗闇が消えるように。悪法が消滅すれば、もはや善法で対治する必要はなく、心が清浄になれば不善も悪もなくなる。善を行うことも有為法であり生死の業であるが、心が清浄ならば業はなくなり、大寂静を得て大涅槃に至る。
善法をもって悪法を対治するとは、四正勤の修習である。未生の悪を生じさせず、已生の悪を断滅させる。悪不善法が生じる因縁条件がまだ具足していない時、悪不善が生じないようにするため、心中に希求と願いを起こす。例えば「もう二度と嫉妬しない」「盗まない」「妄語を吐かない」「殺生しない」「人を陥れない」と誓願すること。これが未だ生じていない悪不善法に対し、不生を願って起こす希求である。
原文:**若時已生悪不善法先已和合。為令断故発起希願。我当於彼一切一切皆不忍受。断滅除遣。是名於諸已生悪不善法。為令断故生欲。**
釈:もし既に悪不善法が因縁和合して生じたなら、それを断滅させるために希願を起こす。「一切の悪不善法を容認せず、断滅し除き遣わそう」と決意する。これが已生の悪不善法に対し、断滅を願って生じる欲求である。
以上の誓願は全て善願であり、覚った者だけがこのように願いを発せる。自心に悪と煩悩があることを自覚し、悪不善法の悪果が解脱を妨げることを知り、善悪を明確に弁える。弁えられなければ自心を覚めず、願いがあっても成就しない。これらの願いは修行過程で自然に発起するもので、法に適った修行が成效を表した証であり、精進の結果である。精進は心の精進であって、身口の表面だけの修飾ではない。身口は車に譬え、心は御者である。車を速く進めたいなら、御者を鞭打つ必要がある。仏道初心者は多く身口で精進する(礼仏・念仏など)が、心の修行は不得手である。老練な修行者は自心を観察し、監視し、対治して悪を断ち善を修する。
回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向します。世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火燃えず、干戈永遠に止むことを。一切の災難ことごとく消退せんことを。各国人民が団結し助け合い、慈心をもって相対し、風雨順調に国泰民安ならんことを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を修め、仏を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開かんことを。仏教が永く興隆し、正法が永住し、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。
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