衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2022年11月29日    火曜日     第3 回の開示 合計3770回の開示

瑜伽師地論 第三十四巻(59)

原文 何故ならば。彼には尚、現観を障げる粗品の我慢が存在するが故に。作意に随入し、間断なく転じ。かくの如く思惟する。我は生死に於いて久しく流转した。我は生死に於いて再び流转すべきである。我は涅槃に於いて当に趣入すべし。我は涅槃のために諸々の善法を修す。我は苦を観じて真実に苦なりとす。我は集を観じて真実に集なりとす。我は滅を観じて真実に滅なりとす。我は道を観じて真実に道なりとす。我は空を観じて真実に空なりとす。我は無願を観じて真実に無願なりとす。我は無相を観じて真実に無相なりとす。かくの如き諸法は我の所有する所なり。

釈:何故深く生死を厭怖し涅槃を願楽しながら、涅槃に趣入することができず、甚だしきに至っては勝解も安住もできないのか。修行者には現量観行を障げる粗い我慢が尚存在し、観行の深化に随って断続あるいは無間断の作意が生起し、この如く心中に思惟するからである:我は永劫に亘り生死を流转した;我は生死の中で尚流转を続ける;我は将来涅槃に趣入すべし;我は涅槃のために諸々の善法を修する;我は苦諦を観じて真実に苦なりとす;我は集諦を観じて真実に集起なりとす;我は滅諦を観じて真実に滅すべきなりとす;我は道諦を観じて真実に道なりとす;我は空を観じて真実に空なりとす;我は無願を観じて真実に無願なりとす;我は無相を観じて真実に無相なりとす;かくの如き諸法は我の所有する所なり。

——生如法師の開示
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