かつての禅修行者が、第八識を参究して悟りを開いた際、それを「桶の底が抜ける」と表現しました。桶とは何を指すのでしょうか。『楞厳経』において仏陀は人間の身体を肉の桶に喩えられました。その形状まさに桶の如く、衆生はこの肉の桶を自分自身と思い込み、実在して滅びない我であると執着するのです。
禅修行者が第八識を悟った時、第八識が真実不滅の自己であることを知ります。五蘊の身は単に第八識が顕現させた仮の殻に過ぎず、真実の我ではないが、第八識の我と異なるものでもありません。これにより五蘊を我と認めず、肉の桶たる五蘊身を否定し、五蘊の重荷を下ろす時、身心ともに空じられ、比類なき軽安を得ます。これを桶の底が抜けた状態に喩えるのです。
桶の底が抜ける前提条件として、戒定慧を具備し、福徳を円満し、菩薩の六波羅蜜を修め、入道の資糧を具える必要があります。時節因縁が熟した時に初めて桶の底が抜けます。この時同時に小乗の初果を証得し、三縛結を断じて、永遠に三悪道に堕ちることはありません。
小乗の初果は五蘊十八界が苦・空・無常・無我であることを証するものです。第八識を悟る時、五蘊十八界が我ならず、虚妄で空幻な非実在であることを知ります。故に大乗の果を証する時、小乗の果も同時に得られますが、小乗の果を証しても必ずしも大乗の果を得るとは限りません。これが大乗仏法が小乗仏法を包含する所以です。
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