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日常法話

2018年10月09日    火曜日     第1開示 合計896開示

『父子合集経選講』

原文:大王。识为其主。业为攀缘。二种相因。初识生起。作业受报。皆不失坏。或趣地狱。或堕傍生。琰摩罗界。及阿修罗。若人若天。各受其报。同类心品。相续随转。最后识灭。名为死蕴。最初识起。名为生蕴。

解釈:仏はおっしゃる。大王よ、識心は造業と受報の主人であり、業縁は識心が攀縁し出したものである。この二者を因として、次の世の最初の識心が現れる。それゆえ、前世で造った業の果報は何の理由もなく消えることはなく、すべてその果報を受けなければならない。果報が現前するとき、これらの人々はあるいは地獄に趣入り、あるいは畜生に堕し、あるいは鬼神道に生れ、あるいは阿修羅・人・天人として託生し、それぞれその果報を受ける。このように業行に相応する識心が現れ、新しい五陰の身の中で相続して絶えず流転運行していく。生命の最後に識心が滅することを死蘊と名づけ、生命の最初に識心が生起することを生蘊と名づける。

原文:大王。身识生时。无所从来。灭无所至。彼缘生时。无所从来。灭无所至。彼业生时。无所从来。灭无所至。大王。无有少法。从于此世。得至他世。何以故。自性空故。

如是了知。初识初识空。自业自业空。身识身识空。若灭灭空。若生生空。轮回轮回空。涅盘涅盘。皆自性空。无有作者。亦无受者。若业若报。皆不可得。但唯名相。分别显示。

解釈:仏はおっしゃる。大王よ、身識が生ずるとき、来る所なく来たものであり、来処がなく、滅するときには滅して行く所がない。業縁が生ずるときも、来る所なく来たものであり、去る所なく去る。業行が生ずるときも同様に、来る所なく来たものであり、去る所なく去る。大王よ、少しでもこの世から他の世へ行くことのできる法はない。なぜか。すべての法の自体性が空であるからである。

私たちはこのように身識を了知すべきであり、身識の自性空を了知すべきである。このように自らの識心が造作した業行を了知し、業行の自性が空であることを了知すべきである。このように初識を了知し、初識の自性が空であることを了知すべきである。このように、すべての法がもし生ずれば、その生は空であり、すべての法がもし滅すれば、その滅は空であることを了知すべきである。同時に、業行の造作と流転には作者もなく受者もなく、すべての法はただ仮相と名前の上での分別的表示にすぎないということも了知しなければならない。

原文:大王。诸根如幻。境界如梦。一切诸法。自性空寂。此名空解脱门。空无空相。名无相解脱门。若无相者。则无希求。名无愿解脱门。若能了知。三解脱门。与空共行。菩提先道。广大如法界。究竟如虚空。于此譬喻。当如是知。

解釈:仏はおっしゃる。大王よ、六根はすべて幻化されたものであり、すべての境界は夢を見るようであり、一切諸法の自性はことごとく空寂である。これを空の解脱門と名づける。空解脱門にもまた空の相貌がなく、これを無相解脱門と名づける。もし一切の法に相がなければ、私たちはそれ以上何の願求ももってはならず、これを無願解脱門と名づける。もし私たちがこの三種の解脱門を究竟に了知でき、いずれも空と共に行くものでありすべて空であると悟れるなら、涅槃の菩提大道は如来蔵法界のように広大であり、その究竟性は虚空のようである。このような譬喩については、私たちはこのように認知すべきである。

——生如法師の開示
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