原文:正に知見を説く時、知見はことごとく心なり。まさに心即ち知見ならん、知見は即ち今に在り。
解釈:私たちが言説や知見、見解を述べる時、これらの言語的知見はすべて自心の中から流露されるものであり、全て自心が顕現した功徳の作用であり、その全体が自心そのものであって、自心と一ならず異ならず。ちょうど私たちの知と見が形成される時、自心の中の一部分の種子の機能が知と見の分別作用となるのは、あたかも一塊の黄金が指輪に打ち造られても、黄金の自体性を失わず、しかも指輪の功用を具えるようなものである。自心もまた同様に、知見に流転してもその本来の具体的性質を失わない。指輪は黄金によって造られ、知見は自心から生じる。指輪の全体は即ち黄金であり、黄金が全て指輪ではないように、知見の全体は即ち自心本性であり、自心の全てが知見に流転するわけではない。
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