原文:衆生と国土は同一の法性なり。地獄も天宮も皆く浄土なり。性あるも性なきも斉しく仏道を成ず。一切の煩悩は畢竟解脱なり。法界の海の如き智慧は諸相を照らし了すこと虚空の如し。此れを如来の随順覚性と名づく。
釈:有情の衆生と無情の国土は、皆同じ一つの法性であり、全て如来蔵の法の性質である。衆生の色法と心法の和合体は、如来蔵が七大種子をもって成就したものであり、国土は色法であり、如来蔵が五大種子をもって成就したものである。これらは全て如来蔵の円成実性によって成就されたものである。地獄も天宮も皆く浄土であり、全て如来蔵より出生し変現したものであり、如来蔵によって円満に成就されたものである。これらは皆く清浄なる如来蔵心中の物であり、全て如来蔵の浄土の中にある。
仏性のある有情と仏性のない無情は、共に仏道を成就する。なぜなら、仏性のあるものもないものも、本来は皆く如来仏であり、全て如来蔵より出生し顕現したものであり、如来蔵によって円満に成就されたものだからである。一切の煩悩は、畢竟において解脱である。なぜなら、一切の煩悩は如来蔵より出生し執持されたものであり、如来蔵によって円満に成就されたものであり、全て如来蔵性そのものである。そして如来蔵は本来解脱しているゆえに、一切の煩悩は畢竟解脱となるのである。
法界如来蔵の海の如き智慧が諸法の相を映し照らす。諸法は虚空の如し。そして諸仏の法界体性智もまた海の如き智慧を具え、諸法の相を見ること虚空の如く了不可得であり、空々寂々である。これは諸仏が一切の世間法相の本質が虚空の如く皆く空であることを証得したからである。以上、これらは皆く如来の随順覚性であり、菩薩や凡夫が証得することはできず、ただ理解し思惟想像するのみである。しかし、依るべき法さえあれば、理解はそう難しくはないように思われるが、実証には三大阿僧祇劫を要する。以上が如来蔵の円成実性、即ち一切の法を円満に成就する体性である。
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